誰にも言えない感情を持つあなたへ。
一見怖いディストピアという地点に立ってみると、どん底の最低な場所ではないか。
でもどん底こそ、あとは回復するのみ、またはそれ以上の地獄はないとみることもできる。
このディストピアの果てにある愛を探すことこそが、真実を探求する次の鍵である。
最悪な状況が作り出す「偽物の終わり」
ディストピア~地獄の絶望的未来
どうしてこの曲をディストピアという名にしたかというと、偽りのユートピア的存在だった場所(モクレンや発車バイブルで感じていた自己の確立)が崩壊するほどの絶望感を感じたからでもあります。
自分の立っている場所がいつ崩壊してもおかしくないほどもろくて危うくて、誰も助けてくれない、誰も自分の人生に責任を取ってくれない状況――それがディストピアの定義です。
人生いつもバラ色ではないけれど、立ち直れないほど未来が見えないこともありますよね。
結構日常的にみんないろんなストレスや不満を抱えていると思います。
その日常から抜け出せなくなることで、いつでもだれでもディストピアにはまってしまう罠なのです。
しかし、この曲は、そのディストピアの中で唯一の光のような、地獄にいる誰かを無条件で救い上げてくれる声を表現しているのです。
絶望の世界に寄り添う「神聖な副旋律」
この曲を表すメロディは、歌ではなく、むしろ伴奏にあります。
私が表現したかったのは、「絶望を表すための曲」ではなく、そのディストピアの「上にある世界」、つまり救済の存在です。
曲全体を通して、追い詰められ、もうどん底しかないという場面で、ある神聖なメロディが繰り返し奏でられています。
この繰り返される副旋律は、大きな存在が私たちをずっと見守り、追いかけてくれているという、深い安心感を表現しているのです。
私自身、人生は山あり谷ありですが、「どん底だ」と思った状況も、時間の経過とともに、それ以上の幸せが見えてきたり、単に視野が狭かっただけだという思いが湧き出てきた経験があります。
この繰り返される副旋律が思い浮かんだとき、私の心が癒されていきました。
したがって、ディストピアを知らない人が聴いても、この曲の真髄、つまり絶望の先にある希望の存在を深く読み取ることは難しいかもしれません。
この伴奏メロディこそが、私たちが探求すべき「裏の真実の愛」の鍵なのです。
🔑 崩壊の果てに示す愛
わたし自身の声が示す、愛の証明
この曲で歌を入れた理由は前回の「発車バイブル」で立ち位置を決め、「ディストピア」でそれをわたし自身の声で宣言するという、活動の進化にあります。
「初めて自分の声で歌う」ということが、自分が気付いていった本当の愛が確実に存在することを証明したかったからです。
この声で、誰かがその真実に気付いてくれるかもしれないという希望を込めています。
闇の中で創造された確かな誰かの愛
歌詞は、どうしようもないときの人間は、自分の状況に嘆くだけでなく、しっかりと懺悔し、立ち直っていくことで道が開けることを表しています。
ディストピアという題は先に名づけましたが、歌自体は愛でいっぱいを感じてほしかったんです。
私にとって愛は自分以外からの救済であるし、たとえ世の中全体がディストピアに代わってしまっても、愛だけは失われることのない完全な人間性だと感じています。
最悪な状況の中にある
あなたにとってのディストピアとは何でしょうか?そして、その中に愛を見出すことはできそうですか?
このように、この真実を知ってから、もう一度聞いてほしいです👇👇












汚れた妖精たちよ
ここで懺悔をするのです
外の世界は嘸や
悪の商売人が彷徨いてることか
ツキ神様が居られるならどうか
どうかあの子のまわりの 毒を排除してくださいな
見なくていいよ
もうそんなところに
愛なんてないから
その過ち 嘘にしたかった?
その気持ち 悲しみ全部 食べてあげるよ
それであたしは 狂ったように笑うの
汚れた妖精たちよ ここで懺悔をするのです
微熱の体を抱きしめて
嘘を嘘だと言わないで
過去の情景を抱きしめて
みんなまっすぐに 生きたいだけなんだ
見なくていいよ
もうそんなところに
愛なんてないから
その過ち嘘にしたかった?
その気持ち悲しみ全部 食べてあげるよ
それであたしは 狂ったように泣くの
全部流してあげる