Chronicle No. 06【日常に溶ける】愛したい孤独な残像 🔑

愛したい、愛されたい。いつも信じていたかった。いつでも守られていたかった。
そんな毎日はいっときの日常であって、理想の時間は一向に来ない。

愛があるようで孤独。そんな日常。でもそんな孤独を見ないようにしていた時代。

そういった「愛の欠如」という、誰にも言えない孤独の残像を解読することが、真実を探求する次の鍵である。

この記事は、楽曲を聴きながら読み進めることで、より深く真実に触れることができます。下のプレイヤーで再生しながらお読みください。

https://youtu.be/HAXhUISj9oI

日常という名に溶けていった時間の中で

まだ実力が伴わない愛

この曲は、制作当時の人間関係が色濃く出ています。

そんなわたしの、「結局は本当の愛をわかっていなかった」という真実の記録です。

愛を信じたかったけれど、その「愛」がどんなものなのか、当時の私には理解が及ばなかったのです。

きっとここは、安全だ。そう思いたかった日常。

でも、やはりその日常という名の安心は・・・みんな揃って自分の居心地しか考えてなかったのかもしれません。

「愛し愛されている」の真実

愛しているという言葉を何もわかっていないうちに、愛するふりをして生きている。

そんな風に疑ってしまう思いがあって、でもそれは、私自身の日常の隙間にも入り込み、不安定な衝動行動につながっていきました。

本当に愛がほしくて、愛を望んでいたからこそ、目の前の相手は偽りなのかもしれないと心のどこかで思っていたんだと思います。

日常の中に潜む違和感。

その決定的な真実は、当時の目の前の人間からは目を見て愛を感じ取れなかったのです。

大切な時に、決して目が合うことはなかったんです。

違うことをわかっていても、変わらない日常に溶かされていった感覚です。

🔑 孤独の残像を映し出す音の風景

幼いころの自然な場所に戻れるような音に

わたしの日常と言えば、いつも公園で夕日が見えるころまで走って遊びまわっていた時代が、日常として記憶されています。

あの頃、愛なんて言葉を知っていたのかな?

多分考えてもいないで夢中で遊んでいたんです。

でも、大人になった今、そうした幼いころの日常と違って、孤独をひしひしと感じるような日常になったような時間の流れをメロディーで表していました。

ノスタルジーさが漂うような曲の始まりから、変わらない日常を楽しく過ごし、その日常がだんだん孤独な日常に代わっていっているのが伝われば幸いです。

あきらめなかった愛の残像

不協和音と、明るいのか悲しいのか読み取れない感覚の出だしから始まります。

これは、日常の切なさを表しているんです。

そして一番中心にあるメロディーは、ピアノの音が同じ音で何度も鳴り響きます。

これは私にとって愛の確認行為です。

何度も何度もわたしが確認しても、嫌がらずに目を見てくれているかなって、そうやってわたしは愛を確かめたい衝動の音になっています。

ずっと愛をあきらめていなかったわたしの真実の記録の音です。

愛をあきらめない

あなたの日常は、愛という名の感情を溶かしてはいませんか?

そして、その底にはどんな孤独の残像が残っていますか?

このように、この真実を知ってから、もう一度聞いてほしいです👇👇

また次の記録でお会いしましょう。